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大阪地方裁判所 昭和58年(ワ)6287号 判決

原告

渡辺倶康

右訴訟代理人弁護士

河内保

被告

更生会社 阪本紡績株式会社

更生管財人

榊原正毅

右訴訟代理人弁護士

髙澤嘉昭

柏木幹正

右訴訟復代理人弁護士

林伸夫

主文

被告は、原告に対し、金九八万一三四〇円およびこれに対する昭和五八年九月二一日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

主文と同旨

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、昭和五六年四月一三日、更生会社阪本紡績株式会社(以下、「更生会社」という)に臨時工として雇用され、そして、更生会社の本社紡績工場において、原綿の製糸機械工程の紡績糸の監視補修業務を主として行う製糸作業員として、専ら午後一〇時から翌朝午前五時までの深夜作業に従事してきた。

一方、被告は、更生会社の更生管財人である。

2  原告の就労拒否

原告は、これまで欠勤したことはあるが、いずれも作業開始前に原告所属担当係長ないし責任者に欠勤の届をしてきたものであるところ、昭和五八年二月一八日昼過ぎより風邪のため急な発熱におそわれて寝込んでしまい、所属班長への欠勤の連絡ができないまま同日夜から翌朝にかけての勤務を欠勤した。そして、原告は、翌二月一九日、前日の欠勤の報告と勤務に就くため出勤したが、これに対し、原告が所属する本社工場工務課丙班の係長である増本三郎は、本社工場の後藤工場長の命として原告の無断欠勤の故に、原告が同日就労することを拒否する旨、そして、同月二一日(月曜日)以降の就労の許否については上司と相談の上指示する旨申し渡して、当日の原告の就労を拒否した。原告は、その後の同月二一日は出勤し就労は許されたが、同月二三日、原告が出勤したところ、右後藤工場長は、口頭で同日以降原告の就労を拒否する旨通告し(以下、前記二月一九日の就労拒否と合わせて、「本件各出勤停止処分」という)、更生会社は、以後、申請人を原告、被申請人を被告とする大阪地方裁判所昭和五八年(ヨ)第二四三八号賃金仮払仮処分申請事件において、和解が成立した(以下「本件和解」という)同年八月二日までの間、原告の就労を拒否し続けた。

3  しかし、次のとおり、本件各出勤停止処分は違法なものである。

まず、更生会社の就業規則七七条は、従業員の賞罰につき賞罰委員会の議を経てこれを行う旨明記しているにもかかわらず、更生会社が原告に対してなした本件各出勤停止処分は、いずれも右賞罰委員会の議を経ないままなされたものであり、また、出勤停止処分の内容について規定する同就業規則七九条三号は、出勤停止は始末書を取り五日以内とする旨明記しているところ、二月二三日の本件出勤停止処分は無期限のものであって、右就業規則の規定に違反するものであり、さらに、原告には、同就業規則八一条で規定する出勤停止処分基準に該当する事由が何ら存しないものであって、以上いずれの点からしても本件各出勤停止処分は違法であることを免れない。

4  仮に、本件各出勤停止処分が右就業規則所定の懲戒処分としての出勤停止処分でないとしても、更生会社が原告に対し、前記二月二〇日及び同月二三日から八月二日までの間、違法不当に原告の就労を拒否し続けたものである。

5  未払賃金

(一) 原告の給与は日給制で、原則として一日当り基本給五二三〇円、深夜手当一四五〇円、及び技能給三八〇円の合計七〇六〇円であり、休日は原則として日曜日のみである。そして、給与の支給は毎月二九日に前月の二一日より当月の二〇日までの出勤日数分が支払われることになっている。

(二) そして、更生会社の原告に対する就労拒否期間である前記昭和五八年二月一九日及び同月二三日から同年八月二日までの間のうち、労働休日である日曜日を除く原告の就労可能日数は、合計一三九日(二月は六日、三月は二七日、四月ないし七月は各月二六日、八月は二日)であり、これに前記原告の一日当たりの日給七〇六〇円を乗ずると、九八万一三四〇円となり、原告は更生会社に対し、右九八万一三四〇円の賃金の支払を得べき権利を有する。

6  よって、原告は更生会社の管財人である被告に対し、未払賃金九八万一三四〇円およびこれに対する昭和五八年九月二一日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否、反論、抗弁

1  認否

(一) 請求原因1の事実は認める。

(二) 同2のうち、原告が所属班長への連絡をせずに昭和五八年二月一八日夜から翌朝にかけての勤務を欠勤したこと、原告が二月一九日に出勤したこと、原告が二月二一日就労し、二月二三日出勤したこと、同年八月二日に本件和解が成立したこと、原告が二月一九日及び二月二三日から同年八月二日までの間就労しなかったことは認めるが、増本三郎が右二月一九日原告に対し、同日の就労を拒否する旨申し渡してその就労を拒否したこと、後藤工場長が二月二三日原告に対し、同日以降の就労を拒否する旨通告し、更生会社が、以後、昭和五八年八月二日までの間、原告の就労を拒否したとの点は否認する。

(三) 同3は争う。

(四) 同4は否認する。

(五) 同5(一)は認め、同(二)は争う。

(六) 同6は争う。

2  反論

(一) 原告は、昭和五七年六月二四日、後藤工場長よりそれまでの三回の無断欠勤につき注意を受け、今後欠勤する場合には就業規則五二条及びその細則である昭和五二年六月一日付公示の「諸休暇の請求手続と取扱いについて」に則り、事前に欠勤の届出をするよう指示されたにもかかわらず、同年九月以降も五回に亘り無断欠勤を繰り返した。そこで、同工場長は同年九月二六日原告に対し、注意した上始末書の提出を求めたが、原告はこれを拒否し、その代わり、今後無断欠勤しない、もし今後六か月以内に無断欠勤した場合は、退職する旨言明した。しかるに、原告は、その居住する寮の自室にある電話器により容易に連絡しえたのに昭和五八年二月一八日無断欠勤した。そこで、同工場長は電話で原告に対し出社して右欠勤につき話合いを持つよう要請したが、原告がこれを拒否したので、原告が出社して工場長と話合うまで就労を保留する旨班係長増本三郎に指示した。そして、右増本は、二月一九日、右指示に従い、出勤してきた原告に対し、原告が工場長と話合うまで同日の就労を保留する旨伝えた。その後の同月二三日、右工場長は、出勤してきた原告と前記欠勤につき話合いしたところ、原告には無断欠勤について全く反省の色がなく、話合いは平行線を辿るのみで、無断欠勤について一言謝ることを求めたのみであるのに、原告は激昂してこれを拒否し、「代理人を連れて再度話合いに来る」と言って席を立って仕舞い、以後、本件和解が成立した同年八月二日までの間、更生会社が本件欠勤の非を認めて早急に就労するよう再三申し入れているにもかかわらず、原告は、自己の勝手な判断で就労しなかったものである。したがって、原告の本件不就労につき更生会社には何らの帰責事由も存しない。

3  抗弁

仮に、更生会社がその責に帰すべき事由により原告が就労不能となったとしても、原告主張の仮処分申請事件が本件和解により終了しているところ、右和解の和解期日における争点は、更生会社が原告の就労を受入れるか否かという点ではなく、専ら原告が何らの金銭的な問題を伴わずに、本件紛争を解決するかという点にあったのであるから、本件和解条項には「請求放棄」の文言はないものの、別紙和解条項四項の「取下げ」は、賃金請求権も放棄する趣旨も含まれるものと解するのが合理的であり、更生会社も当然そのように理解していたもので、原告は本件和解により賃金請求権を放棄したものというべきである。

また仮に、賃金請求権を放棄したものでないとしても、本件和解成立の経緯等に鑑みれば、原告が本訴で本件不就労期間に対する賃金を請求することは信義則に違反するもので許されない。

三  抗弁に対する認否

抗弁はすべて争う。原告は、昭和五八年二月二九日に給料の支給を受けて以後全く無収入の状態にあって、更生会社の就労拒否下で紛争が長期化することは原告の死活問題となることが予想されたので、とりあえず更生会社に就労受入れをしてもらい当座の死活問題をしのぎ、過去の就労拒否期間の賃金については別訴で解決することにして、本件和解期日においても賃金請求権を留保する旨明言して本件和解をなしたものであり、それ故、本件和解条項は賃金仮払請求につき「請求放棄」とせず、わざわざ「請求の取下げ」としたものである。

第三証拠

証拠関係は、本件記録中の証拠関係目録に記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  請求原因1の事実、及び請求原因2の事実のうち、原告が所属班長への連絡をせずに昭和五八年二月一八日夜から翌朝にかけての勤務を欠勤したこと、原告が二月一九日に出勤したこと、原告が二月二一日就労し、二月二三日出勤したこと、同年八月二日に本件和解が成立したこと、原告が二月一九日及び二月二三日から同年八月二日までの間就労しなかったこと(以下「本件不就労」ともいう)、は当事者間に争いがない。

二  ところで、使用者である債務者の責に帰すべき事由により労働者の就労が不能となった場合、当該労働者は民法五三六条二項により不就労に拘らず賃金請求権を失わないものと解するのが相当であるところ、原告は、本件不就労が更生会社の違法な出勤停止処分、ないしは同会社の責に帰すべき事由による就労拒否によるものである旨主張するので、そこで、右のような観点から、本件不就労が更生会社の責に帰すべき事由による就労不能であるか否かについて検討する。

1  前記争いのない事実に、(証拠略)によれば、次の事実が認められ、これを覆すに足る証拠はない。

(一)  更生会社は、従業員の欠勤につき、その就業規則で、欠勤の事由及び欠勤日数を所定の様式によって予め届け出る旨規定し、加えて、欠勤予定日の前日(当人の勤務時間内)までに所定の用紙に記入の上本人が直接所属長(担当者係長)に届出許可を得ること、前日に届出許可を受けない場合は無断欠勤として処理する旨を記載した「諸休暇の請求手続と取扱いについて」と題する文書を社内に掲示して、その実行をはかってきたところ、原告は、昭和五七年四月二二日、五月三日、同三一日の三回にわたり、欠勤についての右事前の届出許可手続を履践しないで欠勤したので、後藤工場長は同年六月二四日、原告に対し欠勤の事情を聴取した上、今後は欠勤する場合規則を守り事前に所属長の届出許可を得るようにするよう注意を促し、これに対し、原告は急に欠勤しなければならず、事前の届出許可を得ることができない場合があるのでこの点考慮して欲しい旨申し述べたうえ、今後は気をつける旨言明した。しかし、その後も原告は、同年九月四日、一〇月一一日、同月一六日、一一月六日、同月二四日の五回にわたり前同様事前の届出許可手続を履践しないで欠勤した。そこで、後藤工場長は、同年一一月二六日、原告に対し、再度注意を促したうえ、始末書の提出を求めたが、原告がこれを拒否したので、両者の間に始末書の提出等を巡って諍が起ったが、原告は執拗に反省を促す右後藤との話し合いを続けることに嫌気がさして、今後六か月間は絶対無断欠勤しない、した場合は退職する旨言い放ち、後藤は、原告の右言を受けてその場はそのままとした。

(二)  原告は、昭和五八年二月一八日、仕事を終え、独り暮しの更生会社社員寮に戻ったが、同日昼過ぎより風邪のため急な発熱におそわれて寝込んでしまい、始業開始時間の午後一〇時を経過した翌午前零時頃になって、初めて目覚め、あわてて工場へ電話したが通じず、また、午後一一時に工場の門が閉じられることや引き続き体調がすぐれなかったことから、所属班長への欠勤の連絡がとれないまま同日夜から翌朝にかけての勤務を休んでしまった(原告が所属班長への連絡なしに右勤務を欠勤したことは争いがない)。これに対し、同月一九日の午後に至って原告の右欠勤の事実を知った前記後藤は、同日午後二時頃、電話にて原告に対しその欠勤につき尋ねたが、話が前年一一月二六日に原告が後藤に対し今後六か月間は無断欠勤しない、した場合は退職する旨言明したこと(前記(一))に及び、どうするのかと言ったところ、原告が興奮して、「辞めろというか」等と言って更生会社から解雇を申し入れられたかのように詰め寄ってきたので、後藤は、電話では埒があかないと思い、出来るだけ早く出社して話し合いを持つよう要請したが、原告は身体の具合いが悪いということでこれを拒否した。そこで後藤は原告と話し合いの機会をもち、同人に謝罪の意を表してもらうまで一時同人の就労を留保させることにし、同日、原告の直属上司である本社工場工務課丙班の班長増本三郎ほかの職制に対し、原告が出勤してきても後藤との話し合いがなされていないので話し合いが持たれるまで原告に就労をさせないよう指示した。そうしたところ、原告は、同日更生会社に出勤したが、右増本から、後藤工場長から原告の就労を拒否するよう言われているのでそのまま帰るよう指示され、やむなく就労せずに帰宅した。

(三)  原告は、同年二月二〇日(日曜日)の翌日の同月二一日は通常通り出勤したが、その際、増本に代わり同日付で丙班係長となった浜上から、「工場長と話し合いが出来ているか」、「早く出向いて話し合ってから元通りに就労してほしい」旨言われたものの、当日の就労は許され、就労した。そして、原告は翌二二日の勤務時間前、工場長に会うべく更生会社に電話したが、同人は不在で会うことが出来ず、副工場長の安本に自己の就労の件について尋ねたところ、同人から話しが付くまで出勤罷りならんと工場長から聞いている旨言われ、就労することは困難と思って、同日は出勤しなかった。

(四)  原告は、後藤工場長と話し合うため昭和五八年二月二三日の勤務時間前である午前八時過ぎ頃出社し、工場内の事務所において、職制ら一〇名位がいるわきで、後藤工場長及び同席した長谷川工務課長と話し合いに入ったが、原告が二月一九日の欠勤について風邪薬を飲んで寝たため目覚めずに勤務時間に遅れた旨弁解したところ、後藤は、これに納得せず、本件欠勤についての謝罪や反省を求め、原告がこれを拒否すると、以前の昭和五七年一一月二六日における原告の今後六か月以内に無断欠勤したら退職する旨の言を持ち出して男が口に出したら履行せよ、どうするのかと追求するので、原告は、首なら首で結構だ、首にされても差しつかえない等と言って応酬した。これに対し後藤は、辞めろという問題ではない、今後無断欠勤しないとの謝罪をするなら出勤せよと言って本件欠勤につき謝罪の意を表することを要求したが、原告は、本件欠勤は予知し得ない発病によるもので、事前の連絡をなすすべがなく、したがって、無断欠勤には該当せず、欠勤について謝罪をする筋合にないものと考え、右謝罪要求を拒否し、謝まる必要はない、言葉には出さん、口が上手でないので代わりの人を連れてくる、といって、後藤との話し合いを打ち切り、決裂した状態で退社し、前記社員寮で待機することにした。

(五)  原告は、更生会社において原綿の製糸機械工程の紡績糸の監視補修業務を主として行う製糸作業員として勤務している者であるが(この点は当事者間に争いがない)、右作業員については、その分担すべき製糸機械が就労日の前日に予め決められ、その分担機械の台番号札に担当作業員の名札が掲げられることになっているが、前記二月一九日以降、原告名義の段取り板は製糸機械の台番号札に掲げられないようになった。

(六)  原告は、前記二月二三日直後、弁護士に本件欠勤を巡る紛争の処理を委任し、二月二五日大阪簡易裁判所に、被告を相手方として原告の就労を拒否してはならないとの申立趣旨の調停の申立をし、三回調停期日が開かれたが、更生会社が本件無断欠勤について口頭でよいから一言謝罪したうえで就労するよう謝罪に固執したのに対し、原告はあくまで謝罪する理由がないと考えていたので謝罪を拒否し、これ以上調停を進行しても就労問題は解決しないものと考え、右調停の申立を取り下げた。

(七)  次いで原告は、同年六月、被告を相手方として大阪地方裁判所に同年二月一九日以降の不就労期間に対する未払賃金の仮払を求めて賃金仮払仮処分の申請をし三回和解期日がもたれたが、被告が右未払賃金の支払には応じないものの、謝罪を求めることなく原告の就労の求めに応じる旨軟化してきたので、やむなく原告は、未払賃金問題は別途解決することにして、同年八月二日、本件和解は別紙和解条項記載のとおりの内容で成立し、原告は、同年八月八日から更生会社で就労し出した。

なお、就労再開日が八月八日と合意されたのは、被告が原告の就労受入れをするための準備期間を要するとしたためであった。

(八)  更生会社は本件和解成立後の同年八月五日、原告が同月八日から就労することとなったことにつき、その経緯を更生会社の従業員に知らしめるため、同社工場内の連絡用黒板に「……原告が無断欠勤を繰り返し本年二月九日出勤停止処分を受け……」と記載して公示した。

2  以上の認定事実をもとに、原告の本件不就労が更生会社の出勤停止処分ないし同会社の就労拒否によるものであるか否かにつき判断する。

(一)  前掲1(二)、(三)で認定の事実によると、後藤工場長が昭和五八年二月一九日、原告に対し同日の就労禁止を命じ、これがため原告が同日の就労をなしえなくなったことは明らかである。なお、原告は、本件就労拒否が就業規則所定の懲戒処分としての出勤停止処分である旨主張するところ、前掲1(八)の認定事実によると、更生会社は本件につき昭和五八年二月一九日に原告を出勤停止処分にした旨公示しているが、しかし、前掲1(二)、(八)で認定の事実及び(人証略)によると、更生会社では三回以上無届欠勤を繰り返した従業者に対しては事情を聴取したうえ謝罪を求めることが行われてきたところ、後藤工場長は、原告が二月一九日同人との話し合いを拒否したので、改めて原告との話し合いの機会をもち、同人に謝罪の意を表してもらうまでは同人に就労させるのは適当でないものと考え、一時的に同人の就労を拒否したに過ぎないものであり、また、右公示の文言も、それまで欠勤していた原告が就労することになった経緯を従業員に知らしめるにつき、原告が出勤停止処分を受けたと強調していたことや更生会社の立場を考慮して、出勤停止処分という文言を挿入したに過ぎないものであって、本件就労拒否が就業規則所定の懲戒処分としての出勤停止処分であるとはいえない。

(二)  次に、昭和五八年二月二三日以降の原告の不就労の点であるが、前掲1(四)ないし(七)の認定事実と前記2(一)の事実に(人証略)を総合すると原告は、同年二月一九日より後藤工場長との話し合いが済むまでの間就労を留保すると更生会社に言渡され就労を拒否されていたところ(但し、同月二一日は就労)、同年二月二三日の原告と後藤工場長との話し合いにおいて、右後藤が原告に対し原告が本件欠勤につき謝罪の意を表することを条件に同日より就労するよう言って反省の言葉を求めたところ、原告がその意に副わない右謝罪を拒否したため、結局、本件欠勤問題についての原告、後藤間の話し合いの結着はつかず、原告に対する右就労拒否は明確には撤回されずに物分れとなり、これに続く本件調停期日においても、更生会社は原告の就労につき原告が謝罪の意を表することを条件とすることに固執して不調(取下)となり、さらに、その後の本件和解期日においても当初更生会社は同様に謝罪の意を表することを条件としいて(ママ)、その後に右条件を持ち出さなくなって、本件和解が成立する運びとなり、原告が就労するに至ったものであり、その間、更生会社は原告に対し謝罪を条件とすることなしに就労するようその業務命令を発していないこと明らかである。したがって、更生会社は、右二月二三日より本件和解成立時頃までの間、原告が本件欠勤につき謝罪することを条件に就労することを許容する、換言すれば、謝罪しない限り就労を拒否する態度を継続していたものというべきであり、原告としては謝罪して就労するか、謝罪を拒否して就労拒否の状態を甘受するしかない立場にあったものであり、したがって、原告は謝罪を拒否する以上、就労をなしえなかったのであるから、結局、原告の本件不就労は、更生会社の右就労拒否の態度に帰因する就労不能といわざるを得ない。

もっとも、本来、使用者は経営秩序を維持し職務規律を保持するため相当な措置を採り得るものというべきであり、そして、経営秩序や職務規律に違反した労働者に対し、自己反省をなさしめたり謝罪を求めたりすることもそれが相当な方法、程度で行われる限り、相当な措置というべきであり、その一事をもって直ちに労働者の就労を不能とするものでないこと明らかであり、また、(人証略)によれば、更生会社では三回以上事前の無届欠勤を繰り返した者に対しては事情を聴取したうえ相応の謝罪を求めることが行われてきたが、これまでにこれを拒否した者は原告を除いて存しないことなく(ママ)、本件においても、原告が一言謝罪の意を表しさえすれば事が済み、就労しえたにもかかわらず、かたくなにこれを拒んだうえ、本件調停の申立や仮処分申請をなして本件欠勤を巡る紛争を紛糾させた面があることは否めないことが認められる。しかし、従前原告を除く他の従業員が謝罪をして就労しているからといって、原告の謝罪を拒否したため就労しえないことが、原告の勝手な謝罪拒否の選択に基づく結果としての不就労とはいえないし(そもそも自己反省や謝罪はそれ自体、本人の自由意思に基づくほかない行為であり、後記のとおり、これを強要することは許されないから)、前掲1(一)、(二)、(四)認定の事実からすれば、後藤工場長は原告が謝罪拒否の態度を翻意する可能性がないことを十分認識していたものであるにもかかわらず、あえてかなりの程度に謝罪を要求し、謝罪することを就労許容の条件としてこれを維持してきたのであるから、謝罪の意思のない原告としては、謝罪を拒否する以上就労することができなかったといわざるを得ず、就労し得ないと勝手に判断して就労しなかったものともいえないし、さらに、原告の本件調停の申立や仮処分申請が早計の感を免れないとしても、就労を拒否され、賃金も未支給の状態にあった以上、当然の権利行使というべきであって、これがため不就労の状態が拡大したともいえない。

3  以上のとおりであって、原告の本件不就労は、更生会社が原告に対してなした本件就労拒否によるものであり、他に理由はないものというべきであるから、本件就労拒否が更生会社の責に帰すべき事由によるものと認められるか否かにつき更に検討する。

(一)  まず、昭和五八年二月一九日の就労不能の点について検討するに、使用者が労働者の就労を拒否すること自体は、原則として許されようが、使用者が労働者の就労を拒否しなお賃金債務を免れうる場合は、その就労拒否が使用者の責に帰すべからざる事由に基づくときに限定されるというべきところ、更生会社が右二月一九日の原告の就労を拒否したのは、前掲1(二)記載のとおり、本件欠勤問題につき原告の更生会社との話し合いと謝罪が済んでいなかったためであるが、本件欠勤につき原告に非があるとしても、原告の更生会社との話し合いや謝罪が済んでいないことを理由になした就労拒否が更生会社(使用者)の職務規律上やむを得ない処置であるとはいい得ないこと明らかであるから、したがって、更生会社は、右就労拒否をもってその責に帰すべからざるものとして賃金債務を免れるものとすることはできないものといわねばならない。

(二)  次に昭和五八年二月二三日以降本件和解成立時までの間の就労不能の点について検討する。

ところで、使用者は、経営秩序や職務規律に違反した労働者に対し、自己反省をなさしめたり謝罪を求めたりすることも相当な措置としてなしうること前記のとおりである。しかし、これも無制限に許されるものではなく、これに応じないことをもって、当該労働者の就労を拒否することは原則として許されないものといわねばならない。なぜなら、自己反省や謝罪はそれ自体、本人の意思に基づくほかない行為であって、個人の意思の自由を尊重する現行法の精神からいって、自己反省や謝罪に応じない者に対し、その就労を拒否することは、これを間接的に強制する結果となるからである。

しかるところ、前掲2(二)記載のとおり、前記期間の原告の就労不能は、更生会社が、原告が本件欠勤問題について謝罪の意を表しないことを理由に就労を拒否したためであり、そして、本件全証拠によるも、更生会社が就労を拒否してまで原告に例え一言にしても謝罪の意を表することを求めねばならない合理的理由も何ら見い出し得ず、そうすると、右就労拒否をもって更生会社のやむを得ない処置とし、その責に帰すべからざるものとして賃金債務を免れるものとすることはできないこと明らかである。

三  未払金請求について

1  更生会社が昭和五八年二月一九日及び同月二三日以降同年八月二日までの間原告の就労を拒否し続けたこと前記のとおりであるところ、右就労拒否による原告の雇用契約上の労務提供債務は債権者である更生会社の責に帰すべき事由による履行不能というべきであること前記のとおりであるから、原告は民法五三六条二項により不就労に拘らず右期間に対する賃金請求権を失わない。

そして、原告の賃金は日給制で、一日当りの賃金は合計七〇六〇円であること、賃金支給は毎月二九日に前月の二一日から当月の二〇日までの出勤日数分が支給されることになっていること、並びに、休日は原則として日曜日のみであることは当事者間に争いがなく、また、更生会社の原告に対する就労拒否期間である前記昭和五八年二月一九日及び同月二三日から同年八月二日までの間のうち、労働休日である日曜日を除く原告の就労可能日数は、合計一三九日(二月は六日、三月は二七日、四月ないし七月は各月二六日、八月は二日)であること明らかであり、右の事実によれば、右就労拒否期間中原告に支払われるべき賃金合計額は、九八万一三四〇円(七〇六〇円×一三九日)と認めるのが相当である。

2  ところで、被告は、原告は本件和解で未払賃金請求権を放棄し、あるいは賃金請求権を行使することは信義則に違反し許されない旨主張する(抗弁)ところ、証人松井幸照の供述中には右賃金請求権放棄の主張に副う部分があるが、しかしながら、同証人の右供述部分は、同人の一方的思い込みや推測を前提として原告が本件和解で未払賃金請求権を放棄した旨供述するに過ぎないものであって、(証拠略)に照らすと採用しえず、他に、右未払賃金請求権放棄の主張を認めるに足りる証拠はない、却って、(証拠略)を総合すれば、原告は、本件賃金仮払仮処分申請事件で昭和五八年二月二〇日以降の未払賃金の仮払いを求めたが、同年二月一九日分以降全く無収入の状態にあって、不就労の状態が長期化し、ひいては原告の生活が脅かされることになることが予想されたので、原告はとりあえず更生会社で就労し、過去の不就労期間の未払賃金については別途解決することにして、原告が昭和五八年八月八日から就労し、被告はこれを異議なくこれを受け入れることを主たる内容とし、賃金仮払請求の点については、申請の放棄ではなく申請の取下とする内容の本件和解に合意したものであることが認められ、そして、一件記録により原告が同年九月一三日に本件賃金請求事件を提訴したものであること明らかであり、これらの事実によれば、原告が本件和解により本件未払賃金請求権を放棄したものでないこと明らかである。

また、右認定の事実に照らすと、原告が本件賃金請求権を行使することが、信義誠実の原則に反して許されないものであるとは到底いいえない。

よって、右被告の主張はいずれも理由がない。

3  以上のとおりとすると、更生会社の更生管財人である被告は原告に対し、前記未払賃金合計九八万一三四〇円とこれに対する毎日(ママ)の賃金支払日の翌日から完済まで法定の利率による遅延損害金を支払う義務があるといわねばならない。

四  よって、未払賃金九八万一三四〇円およびこれに対する最終の弁済期到来後である昭和五八年九月二一日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める原告の本訴請求は理由があるから、これを認容し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 千川原則雄)

和解条項

一 昭和五八年二月二〇日ころ、後藤工場長と原告との間で言葉の上での行き違いが生じたが、本日この行き違いを解消する。

二 原告は、昭和五八年八月より更生会社工場で就労し、更生会社はこれを異議なくうけ入れる。

三 原告は、更生会社の就業規則等遵守する。

四 原告は、本件申請を取下げる。

五 申請費用は各自の負担とする。

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